2度の大学受験、人生の分岐点

ライフ

こんにちは、Lingです。

家族4人と1匹(夫・子供2人&わんこ)で毎日賑やかに暮らしている共稼ぎ主婦です。

今年の受験シーズンは例年になく雪が降り、ふと自分が受験生だったあの時も雪が凄かったなと当時を思い出しました。20年ほど前に高校卒業後に入った大学から別の大学へと再受験し当時の自分としては大きな方向転換をしました。その結果、今のエンジニアとしての自分があることは間違いなく、大きな分岐点だったなと、ふと思い出して懐かしんでます。きっかけは後ろ向きだし、自分の甘えた部分で遠回りしたけれど、道は一つじゃないんだなとその後の人生にも大きな影響を与えた自分事でした。100人いたら100通りの道があって、歩んできた道ってみんなほんんと色々だよね、ぐらいに軽く読んでいただけば幸いです。

1度目の挑戦

1度目は、当時は他の教科に比べると数学だけは得意だったこともあり、自分の実力もよく分からずに理系の某学部で有名どころの大学を夢見て受験生活をスタートするものの、真剣味が足りずのほほ~んとしてい完全に受験をなめていた記憶があります。周りに流されるよに取り敢えず予備校行って、何となく勉強して、某有名大学に通っていた兄妹には「全く真剣味がない、受験そんなあまくないよ。Lingちゃん絶対受からないよ。」と断言されるぐらい傍からみると勉強に身が入ってない状態だったようです。案の定、第一希望の国立大学はセンター試験では足切りにはならないもののギリギリ、二次試験では全然解けず惨敗。滑り止めにもならない私立大学を受けまくり、これまた惨敗。唯一、親が「試験受けなくていいセンター推薦がある大学出しておいたら?」といって出してくれていた地元の大学だけ合格。がっつり理系目指していたのに、なんと文学部。

そんなこんなで、晴れて文学部の女子大生になりました。

やっぱり違う…

入学してから数週間、授業内容に一切興味が持てずやる気無し、加えて同級生たちの大学生活を楽しむキラキラした雰囲気にもついていくことができなくなりGW明けからは通えなくなってしまいました。

自分はどうしたいんだろうと考える日々

何しても中途半端という自覚はあったけれど、そんな中でも少なからず大学は社会に出るために専門性を身につける場と思っていたころもあり、専門性を得るために勉強するのであればやはり自分の興味が持てる分野にしたいと考えました。将来はまだ分からないけど、勉強するなら理系の勉強がしたい。漠然とした理由だけだったけど、理系の大学への再受験を決めました。

両親は?

あまりにも入学後ふさぎ込んでいる娘にこのままだとどうかなってしまうのかもしれないと、反対は有りませんでした。ただし、退学はせずに翌年再受験してダメだったら、今の大学に再度通うことが条件でした。
後日談ですが両親の中では、翌年に海外出向が決まっていたため、再受験が通らなかった場合は出向先の比較的入りやすい現地の大学に入れることを考えていたそうです。私自身親になって改めて、相当心配掛けたんだろうなと痛感してます。当時は何も言わなかったけど、今だに最初の私立大学に掛かった費用のことを言われ続けてるのは、その頃の心配の裏返しだと思って受け止めてます(笑)

仮面浪人生活(バイト含む)の始まり

次なる目標が決まれば気持ちを切り替えて、さぁ受験勉強!とは、性格的にいかないもので…(笑)両親に迷惑を掛けていることを大義名分に、受験費用を稼がねばとバイトに励みました。結局、受験勉強を真剣にやりだしたのは10月頃からだったでしょうか。当時のセンター試験まで3ヶ月、流石にそろそろヤバいかなぁと。ただ、楽観的な性格で高校時代と比べると学校に通う必要がないため全ての時間を勉強にあてられるといった安直な理由もありました。

1年目との違い

環境的には高校に通わずに勉強に時間をあてられるといったところは、大きなメリットとしてありましたが、1年目の反省を踏まえて考え方として大きく変えたとろがありました。

「恥は承知で勉強の仕方を聞く」

ことでした。バイト先の有名大学に通う先輩、勉強が出来る同級生、自分のレベルを踏まえて聞ける人には聞きまくりました。

本当に人に恵まれたと思ってます。
基礎力が全く無く、勉強の仕方すら分からなかった私は、親身になってくれた友人たちのアドバイスを徹底してやると決めました。友人たちのアドバイスは意外とシンプルで、基礎力が全く無かった私には、応用的なところはやらずにひたすら基礎的なところを徹底しなさい、あれやこれやテキストはやらず一つでいい、そんなアドバイスをもらい。各教科最低限のテキストを選び、問題の内容も覚えるぐらいまで繰り返しやりました。

2度目の挑戦

1年目の志望大学を再受験することを考えましたが、学力的にも倍率的にも厳しいところではなく、理系の勉強ができるところで潰しがきく学部を選択しました。ネックは1年目の受験教科と一部変わったところでしたが、背に腹は変わられないと苦手だった教科を1から勉強をやり直しました。残念ながら、1から勉強をし直した教科が足をひっぱりセンター試験の結果は1年目より下がる結果となりました。とはいえ、諦めるわけにはいかないと国公立ではどこの地域でもいいからA判定で合格する可能性が高い大学を選択し、私立はチャレンジ校を選択しました。

結果、私立は全滅、地方の国公立大学だけ合格!でした。

ネットでの合格発表を母と一緒にみたのですが、母は泣いて喜んでました。
私自身、非常に安堵したことを覚えてます。

そんなこんなで、2度目の春は地方のむさ苦しい工学部の女子大生になりました。

最後に

どうでしょうか?文学部からの工学部への転身。
ある程度、分かってはいたものの入学後はそれはそれは人種も違うんじゃないかと思うぐらい真逆な世界に移ったような感覚を覚えた記憶があります。大学も学部も変えたからといって、全てが万事うまくいくという訳ではもちろん無かったですが、自分で自分の人生を変えれたということは大きな自信となり、今に繋がっていると思ってます。

最後までお読みくださりありがとうございました♪

Ling

Ling

大学卒業以来、大手企業のエンジニアとして20年弱勤め2度の産休・育休を経てきたワーママです。会社の副業解禁を期にオーダーメイド花屋を開業。パラレルキャリアを育てながら、ほど良い働き方を目指してキャリアの方向性を模索中。小中学生兄妹。夫。4歳わんこ。家計と豆腐メンタル強化中です。

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